40年 トゥニーポート

1715年設立。当時の宰相ポンバルよりレベロ・ヴァレンテ一族に与えられた土地は、19世紀初頭、ヴィラル・ダレン子爵の所有になるまで、1世紀以上に亘り所有され続けました。1880年代、ドウロ地区は他地域同様にフィロキセラによる大被害を受け、キンタ・ド・ノヴァルも売却されることになり、1894年にポートの輸出商として著名であった、アントニオ・ホセ・シルヴァ氏によって買収されました。キンタ・ド・ノヴァルで新しい人生を歩み出したダ・シルヴァ氏は、畑に植樹を行い、農園の家屋を全て一新しました。その後義理の息子、ルイス・バスコンセロス・ポルト氏が受け継ぎ、約30年経営しました。

あらゆる改革に励んだバスコンセルス・ポルト氏は、テラスと呼ばれる古くて狭いブドウ畑を現在の広い畑に作り直すことで、最大限の日照量を享受し、畑の有効活用が可能になりました。当時では非常に革新的な改革として高く評価される一方で、英国のオックスフォードやケンブリッジ、さらにメンバーズクラブにおいて集中的にノヴァルのポートを売り込むことで、上流社会でのイメージアップの作戦を図ることに成功。更に、20世紀最高のポートと絶賛される1931年のヴィンテージによって、その名声は一気に世界中に広がりました。

バスコンセルイス・ポルト氏が1963年にその職を退くと、彼の孫である、フェルナンド氏とルイス・ヴァン・ゼラー氏が引継ぎ、その後も更なる改革を進めました。しかし、災難にも1981年には大火に見舞われ、歴史的記録など全て消失しました。翌年、バスコンセロス・ポルト氏の曾曾孫となる、若きクリスチアーノ氏とテレサ・ヴァン・ゼラー氏が新たに参画し、キンタ・ド・ノヴァルの大農園の再建築を行いました。

1986年、ポルトガル政府はポートの輸出に係る法律の変更を行い、大手輸出業者の中で最初にこの新しい法令による輸出を行ったのがキンタ・ド・ノヴァルで、1989年には同社の在庫を全てドウロに移管することを発表しました。

1993年5月、ヴァン・ゼラー一族は同社をフランス最大の保険会社グループ、アクサ・ミレジムに売却することを決定し、145haの所有畑、在庫、そして生産設備の全てがアクサグループの手に渡りました。更に同年10月、イギリス人であるクリスチャン・シーリー氏がキンタ・ド・ノヴァルの社長として任命。社長に就任した当時、彼は若干32歳であり、そのワインに対する溢れる情熱と高度な知識、そしてイギリスで会社を経営してきたその経営能力を買われたのです。

シーリー氏の社長就任の翌年には、大幅な技術的な改善計画がスタートしました。この計画により、ノヴァルの実質的な在庫及び生産部門のヴィラ・ノヴァ・デ・ガイヤからドウロへの移管が完了。さらに、ジャン・ミッシェル・カーズ氏の下で、Ch.Lynch Bagesの最高醸造責任者を務めた、ダニエル・ヨーズ氏との共同作業によって、著しい品質改善が行われ、現在に至っています。

手摘みで収穫後、生産量のうち40%を人の足で破砕。残りを穏やかに破砕できる空圧式圧搾機を使用。発酵槽に移し、発酵途中にアルコール度数77%のブランデー(グレープスピリッツ)を添加し、発酵を終了させます。

琥珀色のトゥニーポートは意識的に古い樽を用いてゆるやかに酸化をさせて熟成を行うので、元々の赤色(ルビー色)が薄くなっていきます。そのため、琥珀色になっていくのですが、熟成期間が10年、20年、30年と進むとさらに色が薄くなっていきます。

トゥニーポートは酸化により口当たりが非常に柔らかく、タンニンも落ち着くので非常に飲みやすいデザートワインとなります。紅茶を思わせる香りとカラメルの香りが特徴的で、おつまみ無しでトゥニーポートだけを飲んでも疲れない味わいです。

瓶詰めは1996年。

通常ラベルとは異なり、ボトルに直接文字やイラストがプリントされています。
型番 POTQDN-01(キンタ・ド・ノヴァル)
在庫状況 在庫 2
販売価格
25,000円(内税)
購入数